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2003年2月 第20回映画研究会は、フランスのテレビ局で放送されたドキュメンタリーをもとに「日本赤軍」をふりかえる

JAPON Les Annees Rouges (日本 赤の時代)


場所:キノ・キュッヘ
日時:2003年2月23日(日)16:00〜

解説:濱村 篤

 ●以下「赤いテロルの年」というドイツ語バージョンからの聞き取りによるメモ

 サムライ

 ベルリンの壁崩壊以降一定の方向に進んでいるイデオロギー、その中から見る1970年、当時、ヨーロッパでも日本でも、戦後手に入れることのできた豊かさの中で見られた、物質世界に対する反抗 日本の反近代的な文化モデル

 大阪で逮捕された、日本赤軍幹部の重信房子の東京駅到着。2000118

 回想:歌 「美しい5月のパリ」5月のパリ、プラハの春、ベトナム戦争、日本でも学生紛争が起こった

 タイトル:日本:赤いテロルの年

 大泉やすお(出版者・作家、以前の全共闘のメンバー)

 フランスと同様に大学にバリケード、砦が築かれた 政治的状況:ベトナム戦争、アジェンデの死、アメリカの反共 安保の延長:安保体制、ベトナムに向かうアメリカの物資の補給基地としての日本 佐世保闘争、空母エンタープライズ入港反対、ベトナム戦争の基地 若者の閉塞感、既成の社会の中の歯車を養成するだけの大学の役割に対する不満、よりよい選択肢として社会主義を選択

 今井きよし(民主党参議院、以前の東大全共闘の指導者)

 東大、エリート、学生運動の拠点、全学連の結成

 最首悟(東京大学生物学(教授))

 当時助手、学生と連帯した数少ない教師のひとり

 かつての帝国主義日本の砦と、戦後の経済戦争の砦と東大の役割は同じ

阿部ともこ(横浜で医長、以前の全共闘のメンバー)

 当時最首先生の下で勉強していた一回生の学生、教室で解剖学の授業を受けるのでなく、屋外でディスカッションをした思い出

 秋田明大(あけひろ/めいだい)(日大全共闘のかつての指導者)

 日大、日本の平均的な私大、一万人の学生を擁するマンモス大学、スキャンダルの発覚、20億円の使途不明金、学生のストライキ

 秋田明大は、東大全共闘とは違って、エリートでなく、普通の真面目なノンセクト・ラジカルであったから、多くの学生から共感が得られた。議長にまつりあげられた

 党派、ヘルメットで区別、内ゲバ、街頭での争い

 党派が勢揃いした新宿騒乱、国際反戦デー、当時米軍の飛行機の給油の輸送基点であった新宿駅で電車を止めて、ベトナム戦争への補給用の油を止めようとした

 天野恵一(書店主、人権擁護家?、以前の全共闘のメンバー)

 学生運動が取り上げたもうひとつの側面、反天皇制、ベトナム戦争が第二次世界大戦を想起させた、戦争の責任問題を考えていない、原爆のことは言うが自分のやったことは言わない、中国人への虐殺とか、年上の世代は、過去やったことを忘れてしまう、例えば、戦犯の岸が1960年に首相になっている、天皇ヒロヒトがその最たる例、学生運動がこれらをテーマとして取り上げた

 東大安田講堂の攻防(1969年)、戦前と戦後と変わらない国家主義、官僚主義のシンボルであった東大安田講堂の占拠、勝つことはないと分かっていた攻防、機動隊の攻撃、既にプログラム化されていた敗北、サムライ的、日本の自滅的な伝統

 東大安田講堂陥落、学生運動の終焉に、全共闘の指導者が次々に逮捕、暴力手段の情けなさ、石と瓶くらいしかなかった、具体的なオルタナティブを考えるのでなく、ただただノンを言うことが目的

 秋田明大、逮捕、回想、10か月の独房、その後、ゴールデン街に入り浸りになって、政治から離れる

 アベ・トモコ、学生運動は終わったけど、強制連行などに見られる外国人問題に携わるようになる

 赤軍

 安田講堂の教訓→勝つための軍事、残りの10人の学生→赤軍

 1970年、日米安保条約の自動延長声明

 対抗文化、コミック・フィルム・演劇、暴力の賛美

 「ピンク」、ポルノグラフィーと革命、パゾリーニやファスビンダーを想起させる映像、大島渚に学んだ若松孝二や足立正夫、テロルへの関心、彼らは、若きカリスマの女性、重信房子に惹かれる。

 1970年、よど号ハイジャック事件

 1971年、「FPLPと日本赤軍、世界革命を宣言する」

 赤軍、世界革命を夢見て、カストロ、ゲバラ、毛沢東に憧れる

 暴力に純化、暴力のプロ化

 日本の赤軍には、2つの流派があった、ひとつは、国際派で、「ピンク」の監督が合流した日本赤軍で、もうひとつは、日本で革命を起こすべきであると主張した連合赤軍であった、永田洋子と森恒夫

 連合赤軍、銀行襲撃、山中での軍事訓練、1972年浅間山荘事件、人質を取って9日間の立てこもり、延々と続いたテレビ中継

 松田政男(映画監督、以前の日本赤軍のメンバー)による解説

 大泉やすおの心の傷、彼の友人が、浅間山荘に立てこもった、連合赤軍最高幹部のひとりであった吉野であった。当時妊娠中であった吉野の妻が、仲間によって殺害された。同志殺しの発覚。

 日本人は、個人主義ではない、順応主義である、会社などでは機能する、同志殺しは、孤立した山小屋で集団主義がもたらした結果ではないのか?

 松田政男による説明、1972年という年、2つの流れ、同じ胎内から産まれてきたカイン(日本赤軍)とアベル(連合赤軍)

 日本赤軍

 テルアビブ乱射事件、自殺的な攻撃、ベングリオン空港、生存者岡本公三

 重信房子、日本赤軍の幹部、ベカー高原の訓練施設、世界革命の契機としてのパレスチナ解放という位置付け

 ●日本赤軍 重信房子 日本

 ●ドイツ赤軍 バーダーマインホフのグループ、ドイツ

 ●赤い旅団 イタリア

 これらのグループが、世界革命のための共同作業をおこなっているが、そのいずれの国も、かつてのファシズムの国で、前大戦で敗北した国である、それのトラウマなのか?

 重信房子、テロリスト、カルロスとの関連、ハーグ事件との関連、ダッカ事件との関連、ミラノの爆破事件

 日本赤軍の主要なメンバーは、パレスチナやリビアからの支援を失って次々と逮捕され、重信房子も日本に帰国して逮捕される

 日本赤軍は、日本の学生運動が産み出した子供、望まれない子供、不幸な子供

 民主主義の成熟とともに、革命の必要がなくなったという背景

 日本の左翼は、今も、浅間山荘の下に葬られている

 社会を揺るがしはしたが、具体的な痕跡を残せなかった


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